【英語論文の書き方】第5回 技術英文で使われる代名詞のitおよび指示代名詞thisとthatの違いとそれらの使用法

2016年9月6日 10時32分


一般に代名詞itは人称代名詞,thisや thatは指示代名詞と呼ばれています。これらの代名詞は代名詞としての働きは同一ですが,それらが意味する内容や使用法には下記のような違いがありますので,英文を作成する場合には注意が必要です。

it: 既に言及された特定の人や物を表す(三人称単数)。
this: 空間的,時間的,心理的に近いものを表す。直前の文や節,後続する文の内容も表すこともできる。複数形はthese。
that: 空間的,時間的,心理的に遠いものを表す。直前の文やその内容の一部を表すことができる。複数形はthose。

そこで技術英文で使われる代名詞のitおよび指示代名詞thisとthatの違いとそれらの使用法を解説します。

なお以下の例文で,○は推奨される英文,△は文法的には正しい英文,×は不適切な英文を表します。

原文1:危険な火花が発生するので鉄のハンマーは使えない。

原文1:危険な火花が発生するので鉄のハンマーは使えない。

<訳例1> ○An iron hammer cannot be used because it causes dangerous sparks.
<訳例2> ×An iron hammer cannot be used because this causes dangerous sparks.
<訳例3> ×An iron hammer cannot be used because that causes dangerous sparks.
 
 <訳例1> において。代名詞itが指す名詞としては “an iron hammer” 以外にありませんから,人称代名詞it は “an iron hammer” を指しています。
したがって<訳例1>は正しい英文であることが分かります。
なお代名詞itは,既に言及された特定の人や物を表すことができますが,何を指しているかが明白な場合に使うのが原則です。
 
<訳例2> はitに代わってthisを使用した英文です。
ここでthisが何を意味しているのかを考えると,前文の内容全体なのか,あるいは 何らかの名詞を指しているのかは曖昧です。
具体的に”an iron hammer”を指しているのであれば人称代名詞itを使えばよいわけですから,このような文は,曖昧で不適切な英文である言うことができます。

<訳例3> はitに代わってthatを使用した英文です。
<訳例3> でもthatが何を意味しているのかを考えると,前文のどの部分を指しているのか,あるいはその他の何らかの名詞を指しているのか曖昧です。
<訳例2>と同様,具体的に”an iron hammer”を指しているのであれば人称代名詞itを使えばよいわけですから,このような文は,曖昧で不適切な英文であると言うことができます。
 

原文2:粒子状物質は加速時などに黒煙となって吐き出される。このことは見た目の印象を悪くする。

原文2:粒子状物質は加速時などに黒煙となって吐き出される。このことは見た目の印象を悪くする。

<訳例1> ○Particulate matter is emitted as black smoke during acceleration. This gives bad visual impression.
<訳例2> ○Particulate matter is emitted as black smoke during acceleration. This emission gives bad visual impression.
<訳例3> ○Particulate matter is emitted as black smoke during acceleration. This emission of particulate matter gives bad visual impression.
<訳例4> ×Particulate matter is emitted as black smoke during acceleration. It gives bad visual impression.

<訳例1> では前文全体を指示代名詞thisで受け,thisを主語として第2の文を構築しています。
先に述べたように指示代名詞thisは直前の文を指すことができますから,thisの内容は「粒子状物質が加速時などに黒煙となって吐き出されること」となり,そのことが「見た目の印象を悪くする」となって,この文は意味的にも正しい英文であることが分かります。
ただし,thisだけを主語にすると,特に前文が長い場合には何を指しているのか分かり難くなる欠点があります。  

<訳例2> はこの問題を解決するために作成した英文です。
<訳例2> では,thisを指示代名詞としてではなく指示形容詞として使用し,さらに前文の動詞emitを名詞形emissionに変更して使用することによって,thisの内容をより明確にしています。技術英文や技術英語論文ですぐ前文の内容をthisで表す場合には,一般的にこのように指示形容詞として使用されています。また指示形容詞としての使用法が推奨されています。  

<訳例3> はthisの内容をさらに明確にした英文です。
ここではthisを指示形容詞として使用し,さらに名詞emissionを名詞句 ”emission of particulate matter” に変更することで,thisの内容をより一層明確化しています。ただしこのように主語をどんどん長くしていくと,結局は前文の内容を繰り返して述べていることになり,冗長な英文を作成することにつながります。
したがって技術英文や技術英語論文で明確な英文を書くためには,指示形容詞thisを用いた主語をあまり長くしないように注意することが大切です。  

<訳例4> は指示代名詞thisに代わって人称代名詞itを使用した場合の英文です。
ここで人称代名詞itは,前文における具体的な人や物を指すことになりますが,その内容が ”particulate matter” なのか,”black smoke” なのか, “acceleration” なのかは分かりません。
したがってこのような文は意味が曖昧で不適切な英文であることが分かります。

 

原文3:バイトが少しでも欠けていたら,うまく切削できない。

原文3:バイトが少しでも欠けていたら,うまく切削できない。

<訳例1> ○If the cutting tool is chipped even a little, it will not cut satisfactorily.
<訳例2> ×If the cutting tool is chipped even a little, this will not cut satisfactorily.
<訳例3> ×If the cutting tool is chipped even a little, that will not cut satisfactorily.

<訳例1> において,人称代名詞itは前文における具体的な人や物を指していることから,”the cutting tool” を指していることが明らかです。
したがって主文は “The cutting tool will not cut satisfactorily.” (そのバイトはうまく切削できない) となり,<訳例1> は意味的にも文法的にも正しい英文であることが分かります。

<訳例2> ではitに代わって指示代名詞thisが使用した英文です。
<訳例2> においてthisが前文を指していると考えると,主文は”The fact that the cutting tool is chipped will not cut satisfactorily.” (バイトが欠けているという事実はうまく切削できない) となり,英文の意味として不自然であることが分かります。したがって <訳例2> は意味が曖昧で不適切な英文であることが分かります。

<訳例3> の場合も,thatが前文自体なのか,それともその一部なのか,あるいは他の何らかの名詞なのか曖昧であり,不適切な英文であることが分かります。

原文4:このプラントの建設用地は以前の建物に比べて5倍大きい。

原文4:このプラントの建設用地は以前の建物に比べて5倍大きい。

<訳例1> △The building area of this plant is five times larger than the building area of the previous plant.
<訳例2> ○The building area of this plant is five times larger than that of the previous plant.
<訳例3> ×The building area of this plant is five times larger than it of the previous plant.  
(*2016年9月6日:largerの後にthanが抜けていたため、挿入しました。)

<訳例1> は,代名詞を使わずに原文の内容をすべて記述した英文です。この英文は文法的には正しいのですが,”the building area” (建設用地) という言葉が文中に2度出現しています。
このように同一用語を繰り返し使うことは英文としては冗長であり,一般には避ける必要があります。

<訳例2> はこのような冗長性を避けるために作成した英文です。ここでは前半に記載されている”the building area”が,後半ではthatに置き換えられています。このようなthatは冗長性を無くし,英文を簡潔化できることから,技術英文や技術英語論文では好んで使用されています。
ただし,thatの指す対象がthatの位置から遠く離れていたり,thatではその内容が分かり難かったりする場合には,分かり易さの方を重視し,代名詞を使わずに実際の名詞を書く場合があります。

<訳例3> はthatに代わって人称代名詞itを使用した場合の英文です。
この訳例では,itが ”the building area” なのか,”this plant” なのか分かりません。したがってこのような文は曖昧で不適切な英文であることが分かります。
なお,その他の例として,theseとthoseを使用した例を以下に紹介します。


 

原文5:これら(のパラメータ)はその現象を研究する上での重要な要素となり得る。

原文5:これら(のパラメータ)はその現象を研究する上での重要な要素となり得る。

<訳例> These (parameters) can be the key elements in studying the phenomenon.

この<訳例>におけるtheseは,単独で使用される場合は指示代名詞として,”these parameters” のように名詞とともに使用される場合は指示形容詞として使われています。

なおtheseは,技術文書や英語論文では一般的に主として指示形容詞として使われています。

 

原文6:日常我々は楽器の音など,いろいろな種類の音に囲まれている。

原文6:日常我々は楽器の音など,いろいろな種類の音に囲まれている。

<訳例> In everyday life, we are surrounded by various kinds of sounds such as those produced by musical instruments.

この<訳例>におけるthoseはsounds を指しています。soundsが複数形であることからそれに対応して指示代名詞の方もthatでなくthoseが使われています。

まとめ

it
・既に言及された特定の人や物を表す(三人称単数)。
・itが何を指すのかが明確な場合に使用される。

this (these)
・空間的,時間的,心理的に近いものを表す。
・指示代名詞としてより,指示形容詞として使われることが多い。
・直前の文や節,後続する文の内容も表す。

that (those)
・空間的,時間的,心理的に遠いものを表す。
・技術英文では冗長性を避ける目的で使用されることが多い。
・直前の文やその内容の一部を指す。

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執筆者紹介:興野 登(きょうの のぼる)氏

興野 登氏 三菱電機株式会社を経て現在ハイパーテック・ラボ代表
1971年,東北大学工学部電気工学科卒業
2005年,熊本大学大学院自然科学研究科卒業
博士(工学)

日本工業英語協会理事・副会長・専任講師
日本工業英語協会日本科学技術英語教育センター長
中央大学理工学部非常勤講師(科学技術英語,Academic Writing & Presentation)
東京工業大学大学院非常勤講師(Academic Writing)
東京電機大学大学院非常勤講師(Academic Writing & Presentation)
元英語翻訳学校講師(技術翻訳)
元音響学会,電子情報通信学会,AES (Audio Engineering Society) 会員

テクニカル英語の翻訳者として幅広く活躍。
30年以上に渡り電機メーカーにてスピーカーを中心とした音響技術の研究開発に従事。この間,多数の海外発表や海外特許出願を実施。 会社を早期に退職し,神奈川工科大学大学院、日本大学,神田外語大学,上智大学,中央大学、東海大学,東京工業大学等にて音響工学および技術英語の教鞭をとる。

テクニカル・ライティングは工業英語協会の中牧広光氏に師事し、企業や大学等での研修も多数受け持つ。
工業英検1級、実用英語技能検定1級(優秀賞)、通訳案内業ライセンス保持。
 

最近の実績



1. 2013/09/18 「科学英語論文スキル・セミナー― How to Brush Up Your Academic Writing Skills―」(名古屋大学)
2. 2013/10/02 「科学英語論文スキル・セミナー― How to Brush Up Your Academic Writing Skills―」(IEEE, GCCE2013, Tutorial)
3. 2013/12/25 「理工学学生を対象とした英語論文ライティング入門」(山口大学)
4. 2014/01/21 「科学技術英語ライティング」(名古屋大学)
5. 2014/05/21 「科学論文英語スキルセミナー」(名古屋大学)
6. 2014/10/08 “Concept of 3C’s in Academic Writing and Practical Academic Writing Skills for Students and Researchers in the Fields of Science and Technology”, IEEE, GCCE2014, Tutorial
7. 2014/12/02 「英語論文の書き方セミナー(基礎編)」(能率協会)
8. 2015/01/07 「科学論文英語ライティングセミナー」(北海道大学)
9. 2015/05/13 「理系学生向け英文ポスタープレゼンテーションセミナー」(名古屋大学)
10. 2015/06/08「科学英語を正確に書くための基本と実践講座(Ⅱ)」(北海道大学)
11. 2015/06/17「英語論文」の書き方セミナー(基礎編)」(能率協会)
12. 2015/07/08「英語論文」の書き方セミナー(応用編)」(能率協会)

その他:工業英語協会でのセミナーなど。

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興野先生は弊社でも論文専門の翻訳者としてご活躍されています。
これから『英語論文の書き方』シリーズとして、このような興野先生のコラムを毎月2本お届けいたします。
どうぞお楽しみに!

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